作曲家としてのみならず、文筆家としても多岐にわたる文章を発表していたサン=サーンスは、幅広い分野に対して鋭い興味と洞察力を持っていた。幼い頃からピアノやオルガン演奏では神童と絶賛され各地を演奏して回り、パリ音楽院では演奏、作曲において輝かしい成績を修め、卒業後はオルガニストの職を得る。20代の彼はヴィルトゥオーゾとして絶大な名声を獲得し、ワーグナーにいち早く注目したり当事あまり認められていなかったシューマンを演奏し続けたり、音楽文化に対する独自の見識を実践していた。
一度サンーサーンスが教鞭をとった時の生徒に、
フォーレがおり、フォーレとはその後も師弟の関係を超えて深い親交が続いた。そしてビュシーヌ、
フランクらとともに国民音楽協会を設立し、フランスの作曲家による新しい音楽の奨励という目的のために、重要かつ練り込んだプログラムの演奏会を行うようになった。
彼のピアノ作品の多くは1870年以降に書かれており、舞曲的要素を取入れたサロン音楽が多かった。それらは17世紀時代のフランス音楽の良さをよみがえらせようとした試みであり、祖国の音楽伝統を再発見したいという彼の意欲であった。新古典主義的な作品や、協奏曲に匹敵するスケールを持つ変奏曲など優れた作品を残したほか、リュリやラモーなどの作品刊行も手がけ、音楽と向き合うその姿勢はのちの作曲家に多大な影響を与えた。