フランスの作曲家。1855年パリに生まれ、経済的不自由のない環境で育てられる。家庭教師の影響で絵画に興味を持ち、展覧会や演奏会に通い始める。また、15歳の頃からサロンに出入りしシューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、
バッハ、
ベートーヴェンの曲に出会う。
両親の強い勧めで75年、法律学校に入学。わずか半年後に首席で卒業、その後博士号を取得、77年には弁護士に任命される。しかし彼は弁護士の道を選ばず、79年にパリ音楽院に入学し
マスネの弟子となる。また、非公式に
フランクの授業を聴講し、尊敬していた。ドイツに赴いて
ワーグナーのオペラを聴いたことも彼に大きな影響を与えた。
83年に結婚、幸せな家庭生活を送り、86年には国民音楽協会の書記に就任。彼のパリのサロンには詩人のマラルメ、作曲家の
ドビュッシーや
アルベニス、演奏家のコルトーらが集まった。経済的に恵まれていたショーソンは、作曲家仲間のドビュッシーらに援助をすることもあった。歌曲、室内楽曲、合唱曲、劇音楽、オペラ、交響曲など活発に作曲活動を続けていたが、99年6月、44歳で事故死した。